銀塩写真の粒子について

Atlantic ocean 1994
Atlantic ocean 1994 Leica M3 Summicron50mm f2.0 月光G2 

銀塩写真には粒子があった

ゼラチンシルバープリントの場合、支持体に分布している銀の粒子の密度でグラデーションを表現していたわけです。今更ながら当然と言えば当然なのですが、拡大してみると粒子一つひとつは立体であって、回り込んだ光や形の関係で粒子が投影された印画紙上の像には粒子のグラデーションが存在しているということになります。

粒子の表現によるプリントの違い

今や写真の多くは「モニターによる透過光のドット」または「印刷による網点」「プリントアウトによるドット」に出力されることがほとんどです。しかし1990年代まではごく当たり前にゼラチンシルバープリントによって「焼かれて」いました。

Low Contrast monochrome Picture
Leica CL Summicron40mm f2 Tri-X Agfa Portriga rapid paper

洗練と風化

ある意味90年代には色々な表現が出尽くしていた(様に見えた)銀塩写真ですが、その後の可能性は十分に検証されることなく、その利便性からデジタルデータでの写真表現へと移行していきました。もちろん一部の人々は変わらずに銀塩写真での表現を進めていきましたが、コストや環境への負荷も無視できない状況で、銀塩写真そのものが特殊な技術になっているのは皆さんがご存じの通りです。

荒れ/大判微粒子

大判で表現される微粒子の表現も洗練されていました。8×10等の大きなカメラを使用して、微粒子かつ無限のグラデーションを表現する事を選択した人々はどうだったでしょう。デジタルバックの高性能化で印刷も画面表示も問題無くこなすことができるようになり、無事移行が進んだと思います。35ミリの一眼レフやコンパクトカメラで撮影していた層もデジタル一眼やミラーレスの普及でほぼニーズが回収されました。この間、スマートフォンでの撮影が完全に日常化したこともあり、フィルムではBig MiniやLomoなど、乱暴に言えば荒れブレボケも含むローファイな表現はスマートフォンの世界に移行した部分もあるのではないでしょうか。

粒子拡大
部分拡大 Fuji Enlarger S690 Fujinon引き伸ばしレンズ

粒子の美学

そこで私が思いを馳せるのは35ミリの小さなフィルムを丁寧にバライタ紙に焼き付けていた頃のことです。中判や大判は勿論35ミリカメラでの撮影は独特の文化を作ってきたと思います。大判や中判を使えない場面での妥協としてではなく、35ミリならではの表現が確かに存在していました。

カラープリント
Tokyo 1998 Konica Big mini3 Agfa Vista 400 Kodak Portra paper

プロセス

気に入ったフィルムがあれば感度と現像プロセスをいろいろ試して、最も粒子の揃いのいい現像方法を選びました。手に入れやすいフィルムはTri-XやT-MAX。フィルム現像はD-76を1:1希釈で行うのが私の定番でした。諧調性が良く、粒子もそろって大量の制作にも向いています。液温の管理が容易で作業性も良いものです。

プリント作業

暗室に入ればネガキャリアにネガをセットして、ピントルーペで投影像の中心と四隅を確認します。当然ネガの平面性や引き伸ばし器の精度、引き伸ばしレンズの性能にも寄りますが、まず最初の難関はピントの平面性です。引き伸ばしレンズによっては絞り込むと粒子の姿が変わるものもありました。もちろんイーゼルの平面性も大問題で、正確を期す方はバキュームで平滑化するイーゼル器具を使っている方もいたように思います。

引き伸ばしレンズ

引き伸ばしレンズは目立たないけれど、重要な要素です。実際に引き伸ばしたプリントの粒子を観察するとそれぞれのレンズにより、粒子の描写は違いがあり、トータルのプリントの品質もそれぞれに違っていました。フジの引き伸ばしレンズを好む方もいますし、Nikonの引き伸ばしレンズはとてもシャープ。シュナイダーのレンズは正確でシャープでなおかつ情報量が多いように(当時は)感じていました。

やはりフォコマートはすごい

自分で所有することは無かったのですが、やはりフォコマートは一線を画す引き伸ばし機だと思いました。精度も確かだし、出してくる紙焼きのトーンも説得力が違うように思う。当時は高嶺の花という値段設定だったこともあるが、ネガの作り方から変える必要があると思われたので結局導入することなく、私はカラープリントに力を入れていくことになったように思う。

2024年から90年代を振り返って思う事

今やモニター上でモノクロのトーン、マスク処理などを含むレタッチはとても簡単になった。Adobe PhotoshopではAiも実用になり、撮影画像に粒子を加えることも1クリックでできるようになった。実際の暗室作業では覆い焼きや焼き込み、現像液の温度や現像液の疲労などのあらゆる条件を、数分かけて試し焼きしたものだ。バライタ紙であればドライダウンまで見越して一日乾燥させてから評価したり。そんな手間がばかばかしいと思うかというと全くそんなことは無く、むしろ今すぐにでも暗室作業を再開したいという思いの方が強い。機会があれば何とか実現したいと思う。そしてこのブログでその模様をお伝えできるといいと思う。

現在の銀塩写真の障壁

感材の値上がりは勿論、入手できる素材はとても少なくなってきた。そして資源への負荷、環境への負荷といった避けられない課題がある。このあたりをクリアーする事ができたらとてもいいと思いませんか?何か情報があればお伝えしたいと思うし、ご存じの方は是非教えてください。

25年後のアーカイバル処理の実際その1

90年代にプリントしていたモノクロ写真はアーカイバル処理のものがいくらかあります。

アーカイバル処理はアンセル・アダムス経由で知ることになりました。アダムスのゾーンシステムはその当時の私には敷居が高すぎたので手を出していませんでしたが、アーカイバルの方は、モノクロームの処理を志す者として一通りやって置きたいと思っていたので、かなりしつこい処理をやっていました。

アーカイバル処理という言葉自体が今ではあまり一般的ではなくなってしまったとは思いますが、簡単に言うと「保存性を重視した現像の工程と保存のメソッドに準じた処理」といったところかと思います。作品として、資料としてアーカイブされうるように適切に処理を行うことが求められています。

私の場合は、現像と水洗工程と調色で実践してただけで、保存は印画紙メーカーの箱に乾燥剤と一緒に入れているだけ。処理工程は凝っていましたが、保存は徹底していませんでした。幾度の引っ越しを経ているので、かなり混沌としています。

今となってはアーカイバルまでする意味はあったのかと思う写真が多いですが、工程をある程度自分のものにするには必要だったはずですね。

それに、せっかくバライタ紙という貴重な資源を使っているのですから大量のゴミとして消費するのはモラルに反しているのではないでしょうか?

こんな感じで荒い保存をしていた私のプリント達ですが、結果的にはまずまずの状態を保っています。

NY,Manhattan reservoir 1994

直射日光に当てず、衣装ケースの中に乾燥剤、その中にペーパーの容れ物という保存です。

このような保存方法でバライタはもちろんRCペーパーやカラーペーパーもひどい退色や黄変を示していません。

NY.Halem 1994

いや、やはり端部は黄変してますね。大事なものはやはり余白を多めにプリントしておかないといけません。

あと数十年後の状態を見てみたいものですが、わたしの寿命がいつまで続くかわかったものではありませんので、見届けられるかどうかは神のみぞ知るということになります。

そんなことを考えると写真というものが個人や社会にとってどのような意味を持つのか、考えてしまうことになります。故人の所蔵していた写真、みなさんはどうされていますか?

写真にまつわるそんな駄話を次回は書いてみたいと思います。デジタルとアナログ、情報としての写真と物体としての写真……。

2003年の山本太郎

山本氏の主演映画のパブリシティということで映画、某大手タバコ企業が関連するカルチャー雑誌であるフィルト(Filt)の依頼で撮影することに。

私の誕生日が撮影だったので印象深く覚えている…。

そこまで予備知識もなかったが、早速今回の主演映画『夜を賭けて』を観てから臨むことにする。良い作品、良い演技。演出も演技も荒削りなところ否めないが、熱量あり。伝えたいことが映画でしかできない形で伝わってくる。オススメ映画です。

ということで当日の撮影へ。

渋谷丸山町のミニシアターでインタビューとポートレート撮影という流れ。

事前の打ち合わせはあまり細かくない。細かく無いということは撮影の自由度が高いということなので私たちのモチベーションは上がる。その代わり出演者側のイメージコントロールが効かないし、咄嗟のアクシデントにも臨機応変に対応することが求められる。

こちらの雑誌のインタビューは、映画好きであり、映画に詳しい編集者とインタビュアーが集まるので、良い質問も多く、フランクな現場になることが常で仕事がしやすかった。

山本氏の受け答えもとことん真面目、誠実という感じで、役者という仕事を愛しているのが伝わって来た。

私もいくつか質問して、健康管理や体力作りのことを尋ねた記憶あり。

インタビュー終わり、あらかじめ室内に組んで置いたストロボ照明で一カット目の撮影。傘バン1発。

カメラはペンタックス67。レンズは90ミリの準標準レンズ。

フィルムはベリカラー160で自分で紙焼きする流れ。柔らかいレンズに柔らかいネガフィルムでねっとりとした表現を狙う。当時のお気に入りのセット。

本番前にポラロイド669を2枚撮影してから本番撮影。本番は2本くらい回したか?

アシスタントは無し。

山本氏のコミカルな面は世間に充分知られているので、この時感じた誠実さとストイックさを表せたらと、かなりシリアスな演出を意図した。

中でも数枚目に「玉座の王のように堂々と椅子にかけてください。目線もください。」

即座に意図を汲んでいただいたようで冒頭の使用カットとなる。

その後、ラブホテルやクラブのひしめく渋谷丸山町という地の利を生かし、夜の街をロケすることを提案。短時間の許可を得て街を歩きながら撮影。

機材は同じくペンタックス67に一部tri-x、一部ベリカラーを詰めてクリップオンストロボ1発でドキュメンタリータッチを狙うこととした。

料亭などでは一般の方と気楽に絡んだりと気さくで明るい面が出せたので、室内のシリアスなカットとの対比が上手く行っていると思う。

かなりガッシリとした筋肉質な印象があり、日本の俳優さんにあまりないタイプだと感じました。

プリントはモノクロ分も含め、自宅暗室でカラーペーパーにプリント、コダックC-41薬液でコダックポートラ印画紙に。

その後の東北大震災と東電福島第一原発事故後の、俳優から政治家への転身。山本氏の誠実な印象からすると妙に腑に落ちる部分があり、規格外なだけに時に危うさを感じる「れいわ新選組」の活動も手放しで応援している。

弱者を切り捨てることのない政治理念を持った山本氏のような人が日本の政治を主導することができれば、人間の社会も一歩ほどは進化したと言えるのではないかと思う。

異論のある方も多いかもしれないが、オープンな気持ちで山本氏の言葉を聞いてみてもらいたい。

日本では右翼の屈折した盛り上がりがあったり、左翼という言葉に生理的な嫌悪感を示す向きも多いようだが、世界的に見るとオキュパイ運動やスペインのポデモスなどの重要な動きが見られる。変にガラパゴス化すると戦前の日本に逆戻り。

老化するのではなく、成熟した国民になりたいものです。

掲載された写真の使用がサイズ、カット数ともに少なくてガッカリしたものですが、色々な事情でこういったことは度々起こりました。

写真自体良かったと思うし、山本氏にも貴重な時間を割いていただいた撮影なのでもう少しスペース取れたのでは?と思いますが、当時の紙媒体は予算も資源も限られていたので今のようなネットメディアとは良くも悪くも違いますよね。

ペンタックス67

今はどうかわからないのですが、

以前は使用するカメラが作風と写真家のアティチュードを表すという事実は確かにありました。
アティチュードを表現すると同時に、確かに仕上がりに直結していたんです。

商業写真の世界において6×7というフォーマットは、原盤サイズの大きさで画質に大きくメリットがありました。

画面の構成比が正方形すぎるとしても、十分なメリットがあったのです。
そして6×7版のシステムカメラといえばマミヤかペンタックスということになります。※1

同じフィルムフォーマットを持つこの2つのメーカーのコンセプトは、大きく異なります。

マミヤ67

マミヤの67といえばRZとRBがありますが、私の世代ではRZが当たり前でした。
フィルムバック交換式、120フィルムホルダー・220フィルムホルダー、インスタントフィルムもバック交換で使えました。
広告撮影ではカットごとにインスタントフィルムで「ポラ」を切って、クライアントやデザイナー、事務所や本人がチェックしてからテストロールを回してからの本番というのが当たり前の流れでしたから、このシステムはとても都合のいいものだったのです。

RZ67のポラロイドは縦横の区別がなく、後枠全面に露光されます。デザイナーやカメラマンはポラロイドにトリミングスケールをあてて使われるカットの比率を重ね合わせて仕上がりのイメージを想像したものです。
当然この場合はモデルさんの立ち位置なんかはバミっておいて、カメラは三脚に固定して撮影というスタイルになるわけです。背景のバランスなども決め込みます。
実際の本番はそれ以上のクオリティが欲しいわけですけれど。それはその現場しだいという事になります。

ベルーナファッションカタログ『Ryu Ryu』より

マミヤのレンズは総じてシャープで癖が無く、コントラストもはっきりしていて危なげの無い仕上がりでした。白飛びは要注意というところですか。
レンズシャッターですので、レンズ単体の価格は高額になります。

MAMIYA RZ67 180mm
Kodak EPL +1/2増感

ペンタックス67

ペンタックスはまずバック交換式ではないので、プロの撮影となると本体を複数使うのが当たり前です。
インスタントフィルムを使う場合もノーマルボディーを加工してボディーを一台使う他無く、コスト的にも微妙。
一台のボディーで一本撮影したらレンズを外してボディーをアシスタントと手渡しで交換、レンズを新しいボディーにつけて撮影している間にアシスタントがフィルム交換するというわけです。
手渡しするときに絞りやシャッタースピードがずれていると困ったことになるのでそこは要注意ですね。

広告向きでは無いんですが、絵作りが撮り手に任されている仕事の場合はポラを切る必要も無いわけなので、そんな時は220のフィルムを入れて置いてどんどん撮影することができました。
220ではフィルムの平面性がどうとか言われることもありましたが、困ったことはありませんでした。

あの独特のシャッター音と、やや諧調性に富むレンズがマミヤRZとは違う写真を撮らせてくれると思います。手持ちで撮ることが前提になっているようなデザインも構図の違いに貢献していると思います。

雑誌『KNACK』鈴木清純監督インタビューカット

映画監督の鈴木清純さんのインタビュー時のカットです。『ピストルオペラ』のプロモーションの時期でした。恵比寿のマンションのベランダで撮影しました。事前にロケハンや下見はしてなかったのですが、照明のバッグの中に黒布を忍ばせていたので、ベランダで黒バック自然光で撮らせていただく事にしました。

あまり撮影に時間をかけてはいけない方だと感じましたので、120フィルムの1ロールで完結するように撮影したのですが、10枚のうちの最初の1枚目と2枚目がベストカットで、流石と思ったものです。

こういったプロの方ですので、「ポラロイド無しの手持ち撮影で中判カメラで撮る」ということの意味を汲み取っていただけたのかな?と、今となっては思われます。

PENTAX 67 90mm f2.8
kodak portra400
ポートラペーパーに自家プリント

※1 後にフジのGX6×8がマイナーながら独自の地位を築きましたね。ですが、そもそも、以前はブローニーといえば645のセミ版か正方形のハッセルというのが相場なんですよね。ハッセルの場合は原盤から縦か横にトリミングされることがほとんどだったのではないでしょうか?

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その頃そこにあったもの達

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